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生存報告になりつつ、Photoとか読書メモとか日々のこと。
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古橋秀之著の 徳間デュアル文庫の作品。
思い切り装丁に惹かれ、買いました。近未来ちっくな建造物と世界観を魅せる空気、キャラが、今私の書きたいと思っていた世界に近いものがあるのかも知れないと感じたので。
読み終わるそこには、ひとつの終末と再生、真っ直ぐな少年の姿がありました。

ファンタジーを書くに当たって、けっこう悩む題材のひとつに時間と距離、重さの単位をどのように表現するか、があるのですよね。そこで、日にちの単位を 「歩」 で表す設定の深さにまず驚きました。
この世界は、雪原を歩き続ける巨人 「ミール」 の背中に街を築いた人たちの話。巨人は七日かけて一歩を進む。一歩は七日を意味し、人々の暮らしの基盤、歴史、信仰が生まれていく……と。

お金は新しい単位でも、林檎が一個いくら、肉がひとついくら、と書くとわりと想像しやすいのですが、たとえば 「74ペルテの距離を三日かけて歩いた」 と書いても、どのぐらいの速度で歩いたのかがまず必要になるし、もっと言えば現代人が三日間も歩き続けると言う行為自体が日常的じゃないのでイメージしにくいのです。
そんなわけで……人の徒歩時速4kmとして平均的に一日歩ける距離が30~35km、足の速い人なら40kmぐらい行きそうだけど、悪路なら30kmにも満たないので、出迎えた人の台詞はぁ……と、まぁ、いつも考えているのですが、時間の単位を世界の基盤に持ってくるのが面白かったです。

あえて言うならば、主人公が静かすぎたのが少し寂しかったかも。
冒頭部分では、まだ世界の理に触れたばかりなので、戸惑う姿も年相応に感じたのですが、思いがけない事件や運命の中で、もう少し感情的な部分があってもいいかという感じです。胸ではなく、頭で思考していたのかも。それがキャラクターの特性になればと思ったのですが。

外から内部へ、そしてまた外から世界を観察する。視点の流れと強いメッセージのある流れを楽しませてもらいました。
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高橋たか子著の 群像 3月号 に掲載されている作品。
航空機からの景色にしっとりとした異国の匂いを感じ、写真の話はタイムトラベルのような不思議を感じた作品。

立ち止まり、想像してはまた次の文をなぞると言う、最後まで読んで詩のような小説だと思いました。もしくは舞台劇の印象。感情の波を起こさせることなく、淡々と そこにあり続ける世界。空気感の表現、なのでしょうね。

肩の力を抜いて執筆したのだろうな、と思うと同時に、今、 自分に一番必要なものかもしれないと感じるのでした。
小説ではありません。経営関係の情報誌です。雑誌です。
要らないので捨てるようにと言われ、捨てる前にこっそり拝見しました。

今回の特集は 「売れるお店の心理学」

「どうやったら売れるか」 という部分ではなく、「どうやったら売れるか、を考えている人の思考」 が読みたくて手に取りました。 共通していることは、とても人を観察している事。 イマジネーションを働かせている。イマジネーションに働きかけている、というところでしょうか。

スーパーの食品売り場に連想ゲームを持ってきていたところなど、面白いです。うん、小説執筆と同じなのだと改めて思ったのでした。
鹿島田真希著の 群像 3月号 に掲載されている作品。
何か、色々とカルチャーショックでした。色々と。久々に読書という行為に忍耐で望んで三日かけて読みきりました。カルチャーショックでした。音楽受験生の青年と作曲家先生の 「糞」 から生まれた、愛のお話。

でも、読み終えて、あぁ……そういう視点に立つと、こういう快楽というのはアリなのだと、と思うところに至った自分ですが、これは書けない。これは書けないし生み出せないです。と、しっかり白旗を上げたのでした。

それにしても、未だ3月号。読むの遅いデス。orz
柳美里著の 文藝 春号 に掲載されている作品。
ごめん、いや、もう、笑った。撃沈した。可笑しすぎる。おっさん、ええわぁ。関西弁の言い回しとか、好きなうえにこれはないっしょ。真夜中のベッドの中で、ぶぷっ、とか思わず吹いてしましました。

だってねぇ、夫婦喧嘩といってもここまでやるの? ここまでやるのでしょうねぇ……と妙な現実感に浸りつつ、突然まじめな殺人事件報道文面で 『妻の史美さん三十三歳がゴキブリに襲われました。』 って。逃走中って。付近の住民は厳重に注意してください。ホント。(笑)

果たして夫婦喧嘩は収束するのか!? 更なる事件勃発か!? 乞う、ご期待してます。
高橋源一郎著の 文藝 春号 に掲載されている作品。
連作短編とあったので前の号を引っ張り出したら、高橋源一郎氏と保坂和志氏の対談を読み込んでしまいました。(笑)

話戻り。
死出の旅に出ようという柴犬のタツノスケくん。インド洋上で思い出すのは、懐かしい 「人」 の記憶。邂逅。犬が人の知恵をつけたことの悲しみではなく、ただひたすらに、主人の帰りを待ち続ける者として、最後の時の中で振り返る。

好きな人のことを、ただ真っ直ぐな気持ちで追い求める。待ち焦がれる。思慕の暖かさが柴犬のタツノスケくんの最後を飾る、綺麗な夕日に心安らぐのでした。
渡辺淳一著の 「廃鉱にて」 に収録されている一篇。人の妙を思い、伊吹先生のような人が医療を勤めて欲しいと思いながら、これが現実なのだと思うところです。

あらすじは、変形性股関節症のシンポジウム直前のこと。
瀬田と料理屋で飲んでいた期待の医師伊吹が、突然「学会での発表を止めようかと思う」「発表論文の結論が変わった」と言い出すところから話は始まる。

医術の落とし穴を気づかせた伊吹からみたさゆり。
〝まきむら〟のママから見たさゆり。
これからさゆりはどんな生き方をしていくのだろうかと。そして第三者の、読者の視点で人々を見つめる瀬田先生。
それぞれの立場でそれぞれの想いが交差しながら、最後には屈託ない笑顔を見せた。

こういう話を書けるようになりたいと、生意気ながらに思うのでした。
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